名前の由来

刺身にしたときの身が“すすぎ”洗いをしたように白いことから、その名が付いたとする説や身の白さを表す筋雪(すじゆき)が転じたとする説、勢いよく“すすむ”様を表したとする説など諸説あり、定説はない。
漢字表記の「鱸」については、日本の食物全般について書かれた古典「本朝食鑑」によると、黒色のことを「盧」といい、白い身に黒い模様が入るスズキの身を表して魚偏に盧を合わせたとされている。
スズキに歴史あり

人間とスズキとの関わりは古く、まだ文明と呼べるものが存在しなかった縄文時代まで遡る。全国各地の貝塚からスズキの骨が見つかっており、日常的に食べられていたことが伺える。
長い歴史の中で人々との深い関わりを持ってきたスズキは、歴史にも度々登場し、日本最古の歴史書である「古事記」には、宴の席でスズキが卓を飾る記述が見られる。
また、最古の和歌集として知られる「万葉集」や「祇園精舎の鐘の声…」の書き出しで有名な「平家物語」など、歴史的に有名な書物にも度々登場している。
鎌倉、室町、安土桃山と時代は移り変わってもスズキは高貴な人をもてなすための食材であり、庶民の口には届かなかったらしい。
しかし、漁法の技術が進化し、江戸中期には一般庶民も食べられるようになった。
当時は河川の堰なども少なく、今よりも遡上が多かったと考えられる。川の水も今と比べてきれいで、獲れるスズキも臭みがないことから、海のスズキより川でとれた物の方が人気が高かったようだ。
松江のスズキ

中国では古くから上海近郊の松江(ソンチャン)で獲れるスズキが「松江鱸魚」として珍重され、故事や三国志などにもその名が見られる。
ただし、この鱸は日本のスズキとは違い、カジカ科のヤマノカミを指す。
島根県の松江でも古くからスズキが特産品として知られているが、これは全くの偶然である。こちらでは和紙でスズキの身を包んで焼く「奉書焼き」が名物だ。
松江の字音「セイコウ」が転じてスズキの幼名である「セイゴ」になったという説もあるが、真偽は定かではない。